ashikusayarow’s diary

仕事は防水屋。外壁補修が主です。

何ともかんとも

今朝はつまらない事を書いたと思う。嫁さんを悲しませるだけの内容ですね。勿論このブログの事は内緒だけど。
突然思い出した昔ばなし。確か28歳位の時かな?俺は今と違う現場仕事の職人で当時は完全に電車通勤だった。毎朝朝食は松屋だった。味噌汁付いてくるし安いし。吉野家にはまず入らなかった。すき家はまだ駅の周りには無かった。確か朝6時半だったかな?俺はカレーを注文して席に着いた。ちなみに毎朝二日酔い対策の液キャベとか飲むので朝食代よか高くついてた。アホだ。そうして待ってたら隣に凄い数の食券持った禁酒法時代のアメリカンギャングスターみたいな格好した奴が座った。目玉焼きとか納豆とかキムチとか牛皿とかあと何だっけ?とにかく牛丼プラス単品7.8枚かな?とにかくたくさん食券並べてそれらがテーブルの上に来たら見たこと無い位の賑やかさだった。冬場だったから奴はコートにボルサリーノ(みたいな)帽子です。俺は髪の毛茶色やら金髪やらの時期だったのでやたらと若くは見られていた。しかも作業着で通勤。汚れてるやつは迷惑よね。当時は全く考えなかった。アホです。俺のカレーが到着してワーって食べてたらそいつが話し掛けて来た。ちなみに俺から見た感じで言うと奴は同世代です。絶対年上には見えなかった。「兄ちゃん、これから仕事かぁ?大変だよなぁ」ソイツが極、自然に話し掛けてきた。俺は芝居がかったその喋りで直ぐにピンときた。「こいつはドラマ「とんぼ」の長渕剛だ!」そのドラマは俺が中学3年位の時に放送されたドラマで主役が長渕剛。一匹狼で出て来たばっかしの(ムショから)やくざ。組では幹部クラス、だったかな?今と違って凄く痩せてた。蹴りを入れると反動で自分も跳ね返ってしまう。「とんぼの長渕キック」と誰かが名付けた。流行ったなあ。(笑)
その舎弟役で哀川翔。「兄貴っ!」がセリフの大半な感じ。長渕剛の愛人役で秋吉久美子長渕剛に「なあ、やりてぇ」と台所で後ろからおっぱいを揉まれるシーンに皆が大注目。放送次の日は学校でこのシーンが流行りまくり。勿論、男同士で。ドラマの最後で所謂古いやくざタイプの長渕剛は結局古巣の組の言うこと聞かないもんだから新宿の雑踏で鉄砲玉みたいな奴に刺される。血だらけでヨロヨロ歩く長渕剛を通行人は見てみぬフリで通り過ぎて行く。そこでドラマのテーマソングの「とんぼ」が流れるのが最終話だったかな?
とにかく松屋のソイツは喋り方からして、かなり「とんぼの長渕剛」だった。「兄ちゃん、俺ぁ頼み過ぎちまってよ、食いきれねぇから兄ちゃんも食ってくれよ」なんて言いながら目玉焼きとかソーセージとか勝手に俺のカレーの皿に移してきたりした。俺は急いでいたので「ありあおうごあいまふ」なんて食べながらお礼して素早く食べきると店を出た。
筋肉武装した現在の長渕しか知らない人は昔の姿見たら驚くだろうね。そして今、俺は思う。「あの時のアイツ、今何してるのかしら?」

上手く行かない事

やっぱり他人(嫁さんの両親)と生活共にすると言うのは上手く行かない事だ。最初からそれは解っていたけれども多少の辛抱もしなくちゃね?なんて思ってた。今年で三年になる。嫁さんもかなりの俗物人間だけれども、その両親は輪を掛けた(3重位に)超俗物人間なのです。俺だったら仕事してた方がマシだぜ!って位に1日中テレビ見てる。勿論民放の。外出は週に2回位の温泉施設通い。以上終わり。新聞ちゃんと読むお父さんの方がまだマシなかな。お母さんの方は本当に酷くて随分前にインターネットを使いこなせるようになってもらいたくて興味有ることを聞いたのでした。そしたら「市川海老蔵」だってさ。あんな奴はもっと念入りに六本木でシメられりゃあ良かったのにね。でも俺はちゃんとアメーバブログの奴のページを表示しましたよ。でも二人とも全然タブレットを使いこなせない。何回教えても駄目。すぐに諦めてしまう。まあおまけで付いてきたようなモノなので直ぐに充電が切れる。そうなると自分達で充電しようともしない。簡単に思いどうりにならないモノには興味わかないのですね。もったいない事です。そーしてテレビ。勿論食事中もずっと。家族の会話はテレビ画面を見ながら交わされる。だから話題も番組の内容に依る。今日1日自分が何をしたか?何処へ出かけたか?なんて会話は滅多に無い。これが俺にしてみれば驚く所だった。「俺の実家とは違う」とはっきりと感じた。ああ疲れたから終了。

爆裂瞑想バキトマ道

昔(20年以上前?)読んでた漫画雑誌ガロによく載っていたキクチヒロノリと言う漫画家のタイトルです。かなり異常な設定とキャラクターがとても良かったのです。これは説明難しくて俺が特に好きだったのは指先の表現で、指先がピンと立ってたり伸びきってたりで素敵なのですよ。「バキトマ」とはバカ、キチガイ、トンマ、マヌケの総称で何となく親しみわきますよね?
この当時はガロを読んでるだけで何か良い気分になれました。正しくアンダーグラウンドな作品が多くて「自分の味方」だと勝手に思い込んでいた。勿論今でも好きです。でも今は作者の生活(お金!)とか作品の善し悪しだけで無いことまで想像してしまう。今でも作品出し続けてる人は本当にひとにぎりだもんね。ガロ系として丸尾末広花輪和一根本敬などは成功した人達かしら。勿論、作品が売れることだけが全てでは無いと勝手に思ってるけど俺は出来るだけ気に入った漫画は新品で買うようにしてます。古本屋で買っても作者にはお金入りません。この当たり前な事実を全く考え無い人が意外に多い。勿論これは音楽作品でも全く一緒。最近気に入っているのは谷口菜津子さん。ピンクの可愛いらしい化け物キャラクターと素直で時々ほろりとさせられる会話が良いのです。ラインのキャラクターを嫁さんに進めたりしました。俺は全く使わないけどあのキャラクター達が送られてくると「ウフフ」となります。彼女には本当にメジャーになって欲しいなあ。

日曜日

ああ良いなあ、日曜日って。最近本当に体が疲れてしょうがない。そのかわりに悩みやストレスも無い。こいつは俺にしては珍しい事で、大抵何かしらあるのだけれども。気が小さいから。
2つほど前の日記を消してしまいました。何となく読んでいて自分でもイライラしてくる文章だったから。「言い訳してどーすんだよ?タコ野郎が!」って感じ。それにしてもタコ野郎って良い響きだな。確かビーバップハイスクールから出てきた言葉だと思う。 
ラーメン食べたいな。でもまだ今は早朝なのです。24時間営業で味がまあまあの店があったら俺は常連になると思う。日高屋はちょっとねぇ。

金縛り

始めてなったのは高校生の時。用も無いのに早退して呆けた状態でベッドの上で仰向けになってたら突然耳鳴りがし始めてその耳鳴りがもう限界っ!て位の最大音になった瞬間に体が動かなくなった。効果音があるとしたら「パキッ」って感じ。「これが噂の金縛り?」なんて冷静に考えてたらなんと!ガチャリと玄関の扉が開く音がした。その時間に帰ってくる家族はいないハズなのに。しかもチェーンロック外す音もしなかった。俺は当然物凄く焦った。でも体は動かない。動かないと言うよりも全く力が入らない感じ。「何となくこっちに来るだろうな」と言う予感がしてた。そしたらその通りに二階に上がって来る足音が聞こえてきた。絶対に泥棒とかでは無い気がした。部屋の扉は開いていたから全てが本当にハッキリと聞こえてた。ゆっくりと足音はそのまま俺のベッドの足元まで来た。そのままそこで立ち止まって俺を見下ろしている。視界が効いてるのは天井だけなので、その人間?その影?その幽霊?は見えない。でも俺を見下ろしているのはハッキリと解る。確か外で雀の鳴く声とか聞こえた。数分間はたったのかな?突然体が自由になった。勿論ベッドの足元には誰も何もいなかったし急いで階段降りて玄関確認したけど鍵はそのまま掛かっていた。
その後もたまに金縛りなります。でも数ある中でもこの最初のが一番パンチ効いた体験だった。足音付きの体験はこの時だけ。よくあるのは金縛り状態のまま体が宙に浮く感じ。昼間とか部屋の灯りが点いてると目の前鼻先に天井を感じたりする。壁紙のパターンがハッキリ見える。俺の場合は必ず前兆として耳鳴りがする。疲れてる時よくなる、と言われてるけど自分には当てはまらない気がする。疲れて無くてもなります。でも慣れると楽しいよ。金縛り。

ヤバいと言う言葉

始めて「ヤバい」を格好良いとか調子イイなんて肯定的な使い方をする奴に出会ったのは20年前違う仕事してた時のこと。そいつは確か二十歳でラッパーを目指してると言ってた。賃貸アパートの風呂場でお湯に浸かりながらリリックを叫んでる、と言う彼の話しを聞いた俺は絵ヅラを思い浮かべて笑ってしまった。素直な良い奴だったな。直ぐに辞めたけど。そして時は遡って10年前位?俺の大嫌いなDJヒカル先生が夜中にメロコアがよく流れる音楽番組やっていて「ちょーヤバい!」を連呼してた。完全にアホだと思った。そういえば最近この肯定的「ヤバい」を聞かなくなった。俺の周りだけなのかな?
良い事です。

改造車

小学生4.5年の頃に今でも親友のOが転向してきて直ぐに俺は仲良くなった。彼の影響で改造車が好きになりよく自転車であちこち行って改造車探したりしてた。当時はまあ、景気が良かったと言うのもあったのかな?ハイソカーと呼ばれる所謂高級車にビス止めでオーバーフェンダー付けたり(更に幅が広くなるとワークス)でかいリヤスポイラー付けたりやり過ぎなフロントスポイラー付けたり(出っ歯)マフラーを超ロングにして上に伸ばしたり(竹やり)なんて改造車が載る雑誌でマキシマムチューニングカーと言うのがあった。近所にはそこまでやり過ぎな車は無かったので雑誌を眺めてはこう言う車実際に見たいよなぁ、なんて言ってた。通称チバラギ仕様と呼ばれてましたね。千葉と茨城でチバラギ。何でも千葉のとあるチームからその手の改造車が流行り出したとか。武藤Zと呼ばれてた240z(280?)は凄く有名だったみたい。まあこの車はセンスが凄く良かったのでチバラギ仕様とは違ってたけど。当時は自分も将来そうゆうクルマに乗りたいと本気で思ってた。スカイラインジャパンとか。大阪の改造パーツメーカーでhiro レーシングと言うのがあってギリギリ公道走れる範囲の派手なエアロパーツを売っていた。スーパーホワイトと呼ばれる白い車が多い時代だった。まだ日産もしっかりスカイラインとかサニーとか沢山売れてた時代だった。その後直ぐに廃刊になったマキシマムチューニングカーが今ではヤフオクで随分な値段で取引されてるのを知った。取っておけば良かったな!総集編とかも持ってたのに。ヤングオートとかさ。でも実家出る二十歳の時に全部捨てた。確かちり紙交換に新聞と一緒に出したのでトイレットペーパーに変身したのかな?その当時は持っているのが恥ずかしくなっていた。こうゆうのが本棚にあるのを見られるとマズイ、みたいな。アホな自意識過剰です。音楽好きになってからは改造車への興味が急激に薄れたのでした。前に川崎から乗った首都高でクレスタの改造車チームと遭遇した。車内につり革付いてたり当時のまんまな改造センスで凄い音立ててた。乗ってる人間も若かったので「こう言うのも細々と引き継がれてくモノだなあ」なんて感心したり。それにしても80年代の車を今見ると凄い角ばって見えるよね。今日は雨予報。でも仕事。廊下と階段室やりますよー。やりたく無いですよー。嗚呼。