ashikusayarow’s diary

仕事は防水屋。外壁補修が主です。

改造車

小学生4.5年の頃に今でも親友のOが転向してきて直ぐに俺は仲良くなった。彼の影響で改造車が好きになりよく自転車であちこち行って改造車探したりしてた。当時はまあ、景気が良かったと言うのもあったのかな?ハイソカーと呼ばれる所謂高級車にビス止めでオーバーフェンダー付けたり(更に幅が広くなるとワークス)でかいリヤスポイラー付けたりやり過ぎなフロントスポイラー付けたり(出っ歯)マフラーを超ロングにして上に伸ばしたり(竹やり)なんて改造車が載る雑誌でマキシマムチューニングカーと言うのがあった。近所にはそこまでやり過ぎな車は無かったので雑誌を眺めてはこう言う車実際に見たいよなぁ、なんて言ってた。通称チバラギ仕様と呼ばれてましたね。千葉と茨城でチバラギ。何でも千葉のとあるチームからその手の改造車が流行り出したとか。武藤Zと呼ばれてた240z(280?)は凄く有名だったみたい。まあこの車はセンスが凄く良かったのでチバラギ仕様とは違ってたけど。当時は自分も将来そうゆうクルマに乗りたいと本気で思ってた。スカイラインジャパンとか。大阪の改造パーツメーカーでhiro レーシングと言うのがあってギリギリ公道走れる範囲の派手なエアロパーツを売っていた。スーパーホワイトと呼ばれる白い車が多い時代だった。まだ日産もしっかりスカイラインとかサニーとか沢山売れてた時代だった。その後直ぐに廃刊になったマキシマムチューニングカーが今ではヤフオクで随分な値段で取引されてるのを知った。取っておけば良かったな!総集編とかも持ってたのに。ヤングオートとかさ。でも実家出る二十歳の時に全部捨てた。確かちり紙交換に新聞と一緒に出したのでトイレットペーパーに変身したのかな?その当時は持っているのが恥ずかしくなっていた。こうゆうのが本棚にあるのを見られるとマズイ、みたいな。アホな自意識過剰です。音楽好きになってからは改造車への興味が急激に薄れたのでした。前に川崎から乗った首都高でクレスタの改造車チームと遭遇した。車内につり革付いてたり当時のまんまな改造センスで凄い音立ててた。乗ってる人間も若かったので「こう言うのも細々と引き継がれてくモノだなあ」なんて感心したり。それにしても80年代の車を今見ると凄い角ばって見えるよね。今日は雨予報。でも仕事。廊下と階段室やりますよー。やりたく無いですよー。嗚呼。